2025年度から新たに始まる「江戸東京伝統芸能祭」は、半世紀以上にわたり親しまれてきた「都民芸術フェスティバル」を継承し、能楽、日本舞踊、邦楽、寄席芸能、民俗芸能など、日本の伝統芸能に特化した祭典として生まれ変わりました。本格的な舞台公演から、気軽に参加できる体験型ワークショップまで、子どもから大人まで幅広い世代にお楽しみいただけます。

インタビュアー : 石橋幹己|写真提供 : 橫川朋弥|編集 : 片桐文子

作曲家 橫川朋弥さん
能楽、邦楽、日本舞踊など、日本伝統の芸を体感できる「江戸東京伝統芸能祭」。
その一環として、「雅楽・アジアの音楽 ~ 古代楽器の新たな交流」が開催されます。
平安時代の古典的名曲から、ヨーロッパで活躍する作曲家の新作初演まで。一夜で雅楽の歴史を一望できる、充実のプログラムです。
新作《星摘み》を作曲した橫川朋弥さんに、ヨーロッパでの創作活動や、日本文化への思いをうかがいました。
—— 橫川さんはいまドイツで、作曲のほか、日本の音楽を紹介するコンサートの企画制作など、幅広く活躍されていますね。雅楽の楽器を使って作曲するのは今回が初挑戦だそうですが、最初に委嘱の話を聞いたときは、どう思われましたか?
橫川朋弥(以下、橫川) : お声かけ頂いたときは、飛び上がりたいほど嬉しかったですね。死ぬまでには雅楽の曲を書きたいと思っていたので……このような機会を頂いて、心から感謝しています。
—— 私どもはこの数年、日本の芸能・音楽文化を海外に発信するプロジェクトを推進してきましたが、「若手の作曲家で海外在住の方にこのプロジェクトに関わって頂きたい」というのが、かねてからの念願でした。ですので今回、橫川さんが新作の作曲を引き受けて下さったことを、とても嬉しく思っています。橫川さんがヨーロッパに行かれたのは、20代前半のことだそうですが……
橫川 : はい、2011年に東京学芸大学を卒業して、その後2年間、一般企業で会社員生活をしていました。その時期に、高校時代に和声を教わっていた渡辺裕紀子さんに再会しました。渡辺さんはすでにオーストリアのグラーツで作曲の勉強をしていたんです。
「橫川くん、作曲をこれからも続けていきたいんだったらヨーロッパに来て、もっと知見を広げた方がいいよ。」そう言われて改めて、「僕が本当にしたいことはなんだろう?」と考えました。そして出てきた答えが、「もっと作曲をしたい」。それで思い切って、ヨーロッパへ渡りました。まずグラーツ芸術大学へ、そして2016年にベルリン芸大に移って作曲を学びました。今はライプツィヒで、フリーランスの作曲家として活動を続けています。
—— ヨーロッパと日本で、創作環境の違いは感じましたか?
橫川 : そうですね。東京での生活は目まぐるしくて、空間も狭く感じられたし、なにか頭が圧迫される感じで創作に向かえなかった。ベルリンは少しごちゃごちゃしていますが、ヨーロッパは全体にとてもゆったりしていて、緑も多いですし、流れている時間が違う、という感覚はありますね。
ほかに、ヨーロッパでは刺激的なコンサートが安価で聴けて、学生時代はすごく助かりました。グラーツでは2年に1度、インパルス(Impuls)という現代音楽のワークショップが開催されていますし、ダルムシュタットの現代音楽祭にも行きやすかった。創作の上でかなり影響を与えられたと思います。
—— グラーツで、初めてのオペラ《金色夜叉》が上演されましたね。
橫川 : グラーツ芸大と歌劇場が共同で、作曲専攻の学生を対象にワークショップをして、最終的に残った4作品を上演するというプロジェクトでした。私の作品がその1つに選ばれて、2018年に上演されました。私にとっては重要な作品です。
ただ、公演の評判は人によって両極端で、「すごく良かった」と言ってくれる人も多かったのですが、新聞の批評記事はそれほどでもなくて……。現代音楽の評価というのはわからないものだな、と思いました。
このオペラは『金色夜叉』が題材でしたが、私は最初、観客にわかりやすいように、ドイツ語で書くつもりでいたんです。でもその時の師クラウス・ラングに言われました。「あなたは日本人でしょう。日本語で書かれた小説だし、君にとっては外国語であるドイツ語を、本当に音楽にできるのかな?」
そこで、日本語の持つニュアンス、日本語そのものが持つ音やリズムにもう一度フォーカスしてみよう、と思ったんです。能(日本のオペラとも言われる)の謡(うたい)について、構造などの理論を研究して、作曲しました。
日本の音楽には、日本の大学にいたころから興味を惹かれていました。ただ、ここまで深く音楽理論をリサーチする時間がなかった。この時がいいタイミングだったんだと思います。
クラウス・ラング先生についてはもう一つ思い出があります。私は日本の「書道」をテーマにした曲を書いたことがあって、それを彼に見せたら、こう言われました。自分の文化を本当に理解しているのか、自分の文化への敬意を欠いていないか、と厳しく問われたことがありました。
この出来事で、文化や伝統への向き合い方を再認識させられました。自分は本当に日本の文化を理解して、自分の音楽に昇華できているのか、を常に考えるようになりました。

クラウス・ラング先生|Photo © Sabine Maier
—— その後、尺八や箏の奏者と活動されるようになりましたね。
橫川 : はい。双月舎(そうげつしゃ アンサンブル・ドッペルモント)という演奏団体を立ち上げて、日本音楽と現代音楽を同時にプレゼンテーションするイベントを企画しています。主に箏や三味線、尺八という三曲合奏の形態で、古典の名曲と、ヨーロッパまたは日本の現代作曲家の委嘱作品を並べて演奏するコンサートです。
きっかけは、尺八演奏家の黒田鈴尊(れいそん)さんと知り合ったことでした。コロナ禍で音楽家の活動が制限されてしまったとき、渡辺裕紀子さんがオンラインで作曲アカデミーを開催されて、私はそこで黒田さんと共同作業をする機会を得ました。
尺八は5つしか穴がなく、レファソラドの音しか出ない。でも、メリ・カリ(尺八の奏法)によって、その間の音も出せるし、非常に多様なニュアンスが表現できる。尺八の「ムラ息」という奏法がフルートでも発展していった歴史もある。シンプルな楽器なのに、すごく奥深い。そういったことを初めて知りました。
これは2020年のことで、ヨーロッパに来てからずいぶん経っていましたが、改めて「日本の楽器で書きたい」という思いが強くなりました。

2025年のドイツのトリアでの現代音楽祭より。
左から箏の菊地奈緒子さん、尺八の黒田鈴尊さん、橫川さん、三味線のみやざきみえこさん
橫川 : 日本音楽に興味をもったのは、日本での大学時代に、渡辺裕紀子さんのコンサートを聴いたのがきっかけです。箏と声とヴィオラのトリオの作品でした。それを聴いて、頭を殴られるくらいの衝撃を受けました。その時から日本の楽器に興味が湧いて、大学で日本の伝統音楽のコースを取ったり、文楽の公演にもずいぶん通いました。箏も習いました。実は今また、山田流の箏を習っているんですよ。
ヨーロッパに来たころは、西洋の楽器の曲を書けないと一人前じゃない、と考えていました。日本の楽器なんて誰も知らないし、いわゆる色物(いろもの)みたいに思われる心配もありました。だから、自分の中で封印していた、というところもあります。
でも、黒田さんとの出会いをきっかけに、日本人なんだから日本の楽器で書いてもいいんじゃないか、と思うようになったんです。
エキゾチシズムだとかオリエンタリズムみたいなところに埋もれてしまうのではなく、自分の美学と音楽が本当に融合できる曲を書く必要があると思いました。日本の音楽を、もっと深く知って取り組む必要がある、という覚悟ができてきたんです。
—— 2025年には、写真の菊地さん、黒田さん、三味線のみやざきみえこさんと、各地でコンサートをなさったそうですね。
橫川 : はい。登壇者はその時々で変わりますが、ケルン日本文化会館やルクセンブルクの日本大使館でもコンサートをおこないました。どちらも嬉しいことに、満員の盛況でした。
私がヨーロッパに来た時とは、ずいぶん変わって、今は日本文化への関心が高まっているのを感じます。

2025年のコンサートより。箏の菊地奈緒子さん・解説する橫川さん
ただ、双月舎の活動を通して、異文化理解はなかなか難しい、簡単にはいかないな、ということも、実感しています。
私たち日本人の文化は、ヨーロッパとは全く別のところから発生し、別の進化を遂(と)げている。それに耳を傾け、理解してもらうためには、異なる文化の人たちとの何らかの共通項、入り口を見つける必要があります。
例えば、現代のヨーロッパの作曲家に、日本の伝統的な楽器を使った新作を書いてもらうことも、入り口の一つとして役立つかもしれません。
ヨーロッパで改めて、「日本」に向き合った橫川朋弥さん。
後編ではいよいよ、新作《星摘み》誕生のエピソードをうかがいます。西洋の楽器とはちがう、雅楽ならではの楽器の特徴や、作曲のさまざまな苦労。「音楽を作る」という不思議な営みが、橫川さんの気さくな語り口から、見えてきます。
橫川朋弥
2011年、東京学芸大学を卒業。
これまでに作曲をエレーナ・メンドーザ、クラウス・ラング、山内雅弘、金田潮兒、塩崎美幸の各氏に師事。
2013年に渡欧、グラーツ芸術大学学士課程を最優秀、ベルリン芸術大学修士課程を優秀成績で修了。
国際作曲コンクール Città di Udine(2023)およびTorre Della Quarda優勝(2018)。
Claussen-Simon 作曲賞ファイナリスト(2023)。